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二回目の・・・ [にじちゃん]

 

今日は、虹ちゃんの二回目の命日。
1歳4か月で亡くなった。
 
もう二年たったんだなーという思いと
まだ二年なのかーという思いが交差する。
 
朝、掃除機をかけながら
そういえば、気管支が弱かったから
掃除機ひとつかけるのも、気を使ったなーと思いだす。
本人は、うれしそうに掃除機の後を追いかけてくるのだが・・・。
 
車を運転していたら
そういえば、チャイルドシートを嫌がって
おんぶで車を運転したこともあったよなーと思いだす。
 
「かあちゃん!」
そう呼ばれた気がしたが、
そういえば、まだ「パイパイ」ぐらいしか言わなかったなー
目では、ずいぶん語っていたけれど・・・。 
 
 
 
20090709203317.jpg
 
 
 
うれしいことに、虹ちゃんの命日だからと
お花や果物ケーキもいただいた。
みなさんが、覚えていてくれるのがうれしい。
 
 
二年前のあの日。
病院からの帰りは、
霊柩車は使わず、いつものように
ゆすぞうが運転して、私が抱っこした。
 
まだ、やわらかい体がそこにあって、
眠っているようだった。
 
月のきれいな晩だった。
 
お散歩して帰ろうね」
 
そう言って、病院を出たのを覚えている。
 
ただ一つ。
死亡証明書を持っていたことが
今までと違ったところ。
 
お世話になった
教会の先生と信者さんが
病院までかけつけてくださり、
復活の祈りをしてくださった。
 
本当にうれしかった。
祈りの力強さとありがたさを感じた。
 
そして、今日で二年。
いろんな事があったが、
やっぱり、家族幸せである。
私には、肉体をもってともに生きる家族と
魂で会話する家族がいる。
 
その両方を感じられるからこそ
今の自分がいることもわかる。
 
すべての経験は、感謝と学び。
無駄なことは一つもなく、すべて学びである。
 
そう言い切れる二年間だったと思う。
 
私と家族を支えて下さっているみなさまに・・・
 
「ありがとう。」
 
そういえば、ぐるぐるももう最終版。
「ぐるぐるのお母さんに・・・」
そう言って、太陽の母さんが、花束にリボンをつけてくれた。
 
「ありがとう。」

虹ちゃんの記念会を終えて [にじちゃん]

毎日暑いですね。
この数日ブログが気になりながらも書けない状態でいました。
 
 
先週は、虹ちゃんの昇天日があり(仏教的にいうと命日ですかね)
昇天後1年の記念会があり、もちろん昇天日当日は、なんだか落ち着かない気分になり、
あれやこれやと思いつつも、ブログはかけずにおりました。
 
 
この間、私達に色々お気遣い下さったみなさま、本当にありがとうございました。
 
昇天日当日、朝早くにゆきんこのハハさんが、四葉のクローバーを3つ持って
我が家にやってきてくれました。
そういえば、虹ちゃんが亡くなった翌日も、朝早くに四葉のクローバーを持って
布団の周りに並べてくれたっけ・・・。
 
まだ、眠っているみたいな虹ちゃんに幸福の四葉は、本当にうれしかった。
 
亡くなった翌日は、その後もたくさんの方々が、虹ちゃんとの最後のお別れに来てくださって、
とってもうれしかった。
たった、1年と5ヶ月の命だったけれど、こんなにたくさんの方々にかわいがって
いただいたのかと思うと、それだけに虹ちゃんの命の重さを感じた。
 
 
日曜日の記念会には、虹ちゃんのお友達も来てくれた。
大切な二人のお友達。1年前から比べると本当に大きくなった二人。
二人の成長を見るたびに、虹ちゃんの成長を想像して楽しむことができる。
 
そうそう、昨年の6月と7月のブログには、この二人とのやりとりが、本当に克明に書いて
あった。ここまで、克明に記録してあるのは、この月だけで、私の中の気づかないところで、
虹ちゃんの記録を残しておきたいと感じていたのかも知れない。
 
 
 
 
 
 
 
 
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これは、かめちゃんとわたしの”秘密の道”。
ゆかぞうが、小さい頃は、私たちの地域には、こういうお茶の木に囲まれた
細くて曲がりくねった道がたくさんあった。
 
 
そして、今の様に舗装されておらず、関東ローム層そのものの
赤土で固まっていた。そんな道を歩いたり、自転車に乗ったりするのが
とても好きだったことも覚えている。
 
偶然見つけたこの懐かしさを残した道。
かめちゃんの保育園の送り迎えの時には、ちょっと遠回りして
“秘密の道”に寄っていく。
 
そして、神秘的なエネルギーをもらう。
 
 
日曜日記念会が終わって、両親・妹夫婦と外でバーベキューをしながら、
ゆかぞう 「今日、虹ちゃん来てたかな?」
 
アイアイ 「えー来てなかった感じだね~」
 
とうがらし「ちょっと来て、ちょっと来てなかった」
 
ババちゃん 「えー私のところには、ずっといたわよ、だって右肩が重いもん」
 
じーちゃん 「そんなの、肩こりだろ!」
 
 
 
そんな笑い話が飛ぶ。
みんなで、花火をしながら虹ちゃんの思い出を話す。
見える人も見えない人も、みんな家族で、みんな仲良し。
 
 
今見えて動き回っている子どもたちも、見えなくて動き回っている虹ちゃんも
どの子も私の子どもだ。
 
どの子もかわいい、私の子どもなのだ。
 
じーちゃんがいて、ババちゃんがいて、妹家族があって、私達家族があって、
みんなで、同じ思いと時間を共有できることに、幸せを感じた。
 
 
悲しさや淋しさを乗り越えて、今ここにあることに幸せを感じた日だった。
 
これまでの全てのことに、本当に感謝しています。
そして、これまで支えてくださったみなさん。ありがとう!
 

「お歌の会」のあとで・・・。 [にじちゃん]

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トントン温泉に久しぶりに行った。

でも、温泉に入る前にひと遊び。

トントン温泉の正式名称は「まきばの湯」。
そして、そこはお肉の販売もレストランもアスレチックもある。
かつて、豚を飼っていた牧場だから我が家的に「とんとん」なんだよね。
なんでもあって、がちゃがちゃしてそうなんだけど、ゆかぞうでも
のんびりできるぐらいだから、相当「気」のいい場所なんだと思う。
このごろ、人混みにでると気絶しそうにクラクラしちゃうのよね~。


「ねーゆかぞうが、気絶しそうな場所があったよ」・・・ゲームセンターのこと。
「ねーあそこに行ったら、気絶する?」・・・人混み。

と面白半分に聞いてくる子どもたち。でも、我が家は基本的に人ごみは苦手なのよね。


気絶ってなんだ?とも思うけど、なんかそんなかんじ。
でも、トントン温泉はそうじゃないんだよね。
だから、好き。
好きな場所があるっていいよね。
しかも、この頃とうがらしは、絶対に男湯に入る。
したがって、一人ではつまらないかめちゃんももれなく男湯。
そうなると、ゆかぞうは一人のんびり温泉につかれるわけで、しあわせーーー。
ゆすぞう、ありがとう!

 

次の幸せは、春の我が家の庭。

 

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こいのぼりが泳いでいて、虫も少なくて、風が心地いい。

恐竜がいたりする・・・。

 

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デッキはゆすぞうのお手製。

今日は、「お歌の会」があった。
ゴスペルを練習中。
初めは、出なかった声だけど、月に2回練習をするようになったら、
少しずつ声が出るようになってきた。


歌を歌うことは、心地いい。
全身を使って表現する。
歌詞やメロディーに心を寄せて、自分の体の状態にも心を向ける。

 

そんな会の後に、みんなが我が家にやってきた。
庭にテーブルと椅子を出してのんびりランチ。
子どもたちは、デッキでランチ。

風が心地よく吹いて、友達の言葉も心地よくしみる。


「ねーゆかぞうさん。ゆかぞうさんって、どうやって自分の時間を作り出すの?」
つまり、心地よい時間の流れをどう作りだしているか・・・ということだった。


「そうだなー、私には虹ちゃんと共に生活した時間があるから、
 あの、つらくて充実した時間があったから、今は何をしても心地いいよ。
 どの時間もありがたい。」

そんなふうに答えた。
そう思える自分もうれしい。

今日遊びに来てくれたのは、ゆかぞうの友達と虹ちゃんの友達二人。
昨年の今頃は、一緒に遊んでいた仲間、二人。
こんな素敵な友達と一緒に過ごせた虹ちゃんも楽しかっただろうな。

二人の友達は、自分の足で歩いて、走って、要求を言葉にする。
一年後の虹ちゃんは、こんなふうだったのだろうか・・・。
想像してもできない・・・やっぱり彼女の限界は、あそこだったんだろう。

そして、苦しみもつらさもないところで、今日の心地いい空気を眺めにやってきていると感じる。
風に乗って、自由自在に動ける今だからこそ・・・。

「虹の小屋」が企画したり、関わったりする会の後は、みんなでのんびりランチをする。
そこで、色々な話をする。
子育てのこと、自分のこと、夫のこと。


でも、そこには相手を批判する言葉はない。
どうしたら、心地よく過ごしていけるのか、自分はどんな努力をしたらいいのか。
今、必要な学びはなんなのか・・・。

みんな前向きに人生の課題に向き合っている。
そんな仲間だから、これだけの心地いい時間を過ごすことができる。
それぞれが、お互いの存在に感謝して・・・。


だから、そんな中でゆかぞうが虹ちゃんのことを思い出すのは、本当に自然なことなのだ。
彼女がいたときもこうやって集まっていた。
そして、肉体が存在したことも、現在もただ感謝するのみ。

全てのできごとに感謝の気持ちを持てたら、全ては心地のいい空間に変わる。
ありがたい人生の課題だ。


今日ともにいてくれたみんな、ありがとう。
これからもよろしく。


今日に感謝できる毎日 [にじちゃん]

 

 昨日は、虹ちゃんのお誕生日だった。
何をしようか考えたのだけれど、結局悩んだ結果お花を飾ろうと思った。
そうしたら、アイアイがお花をプレゼントしてくれたの。
ありがとう。

「あーー、ゆかぞう最近”黄色・黄色”って言うから、黄色の花にしといたよ」だって。
アイアイを知っている人なら、言い方の想像がつくでしょ。
ガーベラが真ん中にあって、黄色の元気が詰め込まれたアレンジメントだった。
 
 

 

 

 

 

ゆかぞうは、黄色を中心にイメージは”虹色”のアレンジメントを自分で作ってみた。
(お花の先生ありがとうございます。お花を生けるのが楽しくなってきました。)
うーん。なんか豪快だけど、いい感じだ!と自己満足。

 

 

 

 そして、夕ご飯は、ババちゃんとアイアイが「手巻き寿司でパーティーしよう」と用意してくれた。
それぞれが「にじちゃーーんおめでとーーー」なんて、カルイ感じで言ってバクバク食べる。
そんな感じ。

従姉妹は、虹ちゃんを入れると6人。
しかも、一番上がとうがらしの小学2年生で、下がうっぷすくん5ヶ月。
その中に4人だから、にぎやかなものだ。
毎年私かアイアイがお産していたようなもの。
ババさんの体もよくもったと思う。


そんな中だから、虹ちゃんのことも集団の中にうまく吸収されてきた。
生まれる前の心配も、生まれた後の体のことも、亡くなったあとも・・・。


ちゃっぴー(アイアイの子、3歳)は虹ちゃんが亡くなった直後に
絵本で横たわった絵を見ると「これ、生きてるの?死んでるの?」って聞いていた。
亡くなった虹ちゃんが自宅のお布団で寝ている時も、子どもたちはその周りを走り回っていた。
そして、「虹ちゃん死んじゃったね~。もう冷たいね~。」
そういって触っていた。

そう、とても自然に・・・。


子どもたちは、従姉妹たちが生まれるときも、亡くなる時も自然に受け入れてきた。
だから、亡くなった虹ちゃんの誕生日もとても自然にお祝いしている。
「生きていたら、虹ちゃん2歳だね~」と言って数えている。

 

しみじみするわけでもなく、そのあとドラえもんテレビを見て笑っている。
大人たちもまた同じ。

「2歳になったんだね~、でももっと大きい感じもするねー」なんていいながら・・・。

 

 

今日は、虹ちゃんのお墓参りに行ってきた。
晴れたり、曇ったり、風がふいたり(春一番もふいたらしい)、みぞれが降ったりとずいぶんめまぐるしい天気だったが、虹ちゃんのお墓にお花を飾ったその瞬間、雲の間から太陽がサーッと射してきた。

「さすがだなー、存在感しっかりアピールしている・・・。」と思いつつお祈りを終わると
もう雲がかげって、ものすごい風が吹いてきた。


人生の中には、色々な天気があるけれど、前向きに楽しくというメッセージだろうか・・・。
黄色いお花たちも応援してくれている気がする。
ありがとう。

 

子どもであれ、夫であれ、両親であれ、どんな知り合いであれ、今一緒に生き続けてそれが楽しいことであれ、多少苦しいことであれ共に思い出を作りあえるということは、
やはり喜ぶべきことなのだと思う。
たとえ、思い出したくもないつらいことも、それを乗り越えた後は”今が幸せ”と思える。
「みんな一緒に」という虹ちゃんのメッセージもそこにあるんじゃないかと思う。

 

天の神様、今日もすばらしい一日をありがとうございました。
明日もすばらしい一日でありますように・・・。

毎日家族でそうお祈りする。
どんなことがあってもすばらしい一日であったと感謝して終わりたい。
そういう一日を作っていきたい。


みんなも一緒にそういう毎日を作っていこうね。


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思い出作れる幸せ [にじちゃん]

数日ブログをお休みしました。ごめんなさい。

前回のブログ「みんな一緒に」ですごく深い世界に入り込んでいたようで、
そこから文章を書き出すエネルギーが足らなくなってしまったみたい。

虹ちゃんの告別式の前後は、すごく悲しいことが起こったのに
みんなひたすら飲んで、騒いで、笑い続けていた。
そうしないと、精神状態が持たなかった。

お葬式の後にそういう儀式があるのもわかる気がした。
常に悲しみ続けるというのも相当エネルギーがいるわけで、
そういう状態に入り続けると、精神的にダメージをもつのだとわかった。

エリザベス・キューブラー・ロスの本の中には、
死の受容の段階に、神様さえ信じられず神様さえ恨むことがあるとある。
それでも神様は許してくださるから、そういう感情の時には素直に従えばいいのだと・・・。

私も同じ段階が確かにあった。
あんなにお祈りしたのに、神様は聞き届けて下さらず、私達から虹ちゃんを連れて行ってしまった。
なんでそんなひどいことをされたのかと・・・。

 

そして、その段階を経て、今ではそれは神様しかわからないことだ。
からを脱ぎ捨てて魂だけになり、蝶のようにとんでいった虹ちゃんが、今は幸せなのだと感じられる。
そして、私達も毎朝やってくる「死の恐怖」から逃れ、穏やかな朝を迎えている。


虹ちゃんは、とても個性的な体だった。
特に呼吸は弱かったので、朝気管に痰がからむとそれだけで大変な発作になる。
でも、それも日常になると「よーし、がんばれーーー」と明るく乗り切ってきた。
つまり「死ぬことと生きること」はいつも一緒だったし、
誰でも「生きることは、確実に死に向かっていること」なのだと心にずっしりと落ちたら、
怖さよりも、いかに今日を楽しく生きるかということに気持ちが向かっていったのだ。

 

そういう深いところにあった自分の心を時間を変えて、ブログを書くという行為によって
覗き込んでいる今、多少エネルギーにばらつきが出てきているのかもしれない。
という、なんだかブログを数日書かなかった言い訳が、すごく長くなってしまったが、
多分そういうことなんだと思う。

 

 

 春はもうすぐそこ。菜の花も咲き出した。

といっても、この菜の花はお花屋さんで買ったものではない。
農協に売っている、食用の菜の花の一部を水切りして花びんにさしておくと
こんなにかわいらしい花になるのだ。
だから、いつもゆかぞうは、菜の花を買うと半分食べて、半分飾る。


ゆかぞうは、菜の花が大好き。春の力強さも、黄色の鮮やかさも感じられるから。
畑一面の菜の花を見ることができたときは、本当に幸せな気分になる。
みんな一緒に集まって咲いている花だしね。

 

 

 

 

 かめちゃんを保育園に迎えに行ったら、おともだちとこんな遊びをしていた。

カプラという木のおもちゃで、人形の世界を作っていた。

ふと、そんなかめちゃんの世界を覗いて見られうことに、ものすごく幸せを感じた。
そんなことがこの頃時々ある。
何気ない日常の生活の中で、髪の毛を乾かしてあげているとき。
一緒のお布団で寝ているとき。洋服を着せているとき・・・。

 

 

これは、またまたとうがらしくんが環境破壊になるからとゴミを拾ってきたもの。

 仕方がないので、外にはゴミ箱を置くことにした。
家の中まで持ってこられるよりはましだ。
とうがらしくんが環境保護に目覚めた話は前に書いたよね。
「平成狸合戦」を見て影響された話。

あれ以来、こんなゴミを拾いつつ下校している。
「ねー今日はガラスも拾ったよ、サンダルとかで歩いていて、足を切ったら危ないでしょ」だって。

いやーそれを素手で持って帰ってくるあなたも、かなり危ないと思うけど・・・。
しかも、大量のタバコの吸殻まで持っているんだから。

 

 

そう思いつつ、そんなとうがらしくんの行動に苦笑しながらも、今日もまた思い出が増えることが
とても幸せだと感じている。
共に生活するということは、楽しいこともつらいことも思い出が増えるということだから・・・。
虹ちゃんとの思い出は、決して増えることはない。
楽しい思い出しか思い出されないのも、魂のみで生きる人になってしまったから。

それでも、そういう虹ちゃんへの思いがあるからこそ、とうがらしやかめちゃんの一つ一つの
行為や、一緒にいられること、そのことだけでこんなに幸せを感じられることができる。
それは、淋しさを通り越して感謝に変わる。

もし、虹ちゃんのことがなかったら、私はこの子たちとの生活をこんなに楽しむことができただろうか・・・。
思い出が増えるだけで、感謝の気持ちを持っただろうか・・・。

 

 「虹の小屋」の企画も、「フラワーアレンジメントの会」、飯能キリスト教会主催の「お歌の会」が
すでに行われた。本来なら「虹の小屋日記」のブログに書いているはずなのだが、このところの
エネルギー不足もあって、まだ書けていない(ごめんねー)。


そんな言い訳の後だが、どの会も「年齢・性別を超えた時間と空間の癒し」が行われつつあるんじゃ
ないかと思う。そして、「虹の小屋」の集まりに参加すると、ゆかぞうもとても豊かな心になれる。
集まった人たちからたくさんのエネルギーをもらって、エネルギーを渡して・・・。

 

こんなふうに、「みんな一緒に」という虹ちゃんのメッセージは少しずつ実現しつつあるように思う。

 

 それは、彼女の望んでいたことであり、彼女が私達への課題として残していったことでもある。


「昨日、虹ちゃんの夢を見たよ。抱っこして、子守唄を歌ってあげたんだけど、私が癒された」とか
「今年になってから、ゆかぞうさんと虹ちゃんの夢を見たよ」など、虹ちゃんが登場した夢の話を
友達から聞くこともある。

天国へ行ってもなお、忙しく動き回っている虹ちゃん。
明日は、あなたの誕生日。
もし、肉体を持っていたら、2回目のね。

 

おめでとう!そして、これからもよろしくね。

んじゃ!みんなもkirakiraプラスな時間を過ごしてね。


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「みんな一緒に」 [にじちゃん]

アイアイさんのブログを読んだ。

アイアイさんとゆかぞうは、社会的には姉妹というカテゴリーに入る。
しかも8歳も年の離れた姉妹。
すると社会的には、なんとなく姉の方が優位で、妹に指示を出しているような
そんな空気が見え隠れする。

でも、私達の間では、姉妹として生まれてきた利点がたくさんあると感じている。
家族として、生活や体験を共有することがたくさんあるということ。
共に学びあえると言うこと。


まあ、私達流にいうと
「私達姉妹ですーーーごく得しちゃったねーーーガハハハハ・・・」ということろだろうか。

 

アイアイさんは、ゆかぞうとは違った意味で迫力のある方です(イヒヒ)。

 


ゆかぞうは、この頃虹ちゃんのことをよく思い出し、この間は亡くなったあと初めて夢に出てきた!
びっくりして、すぐにゆすぞうに報告したぐらい・・・。
夢の中で感じていたのは


「こんなに身近にいるのなら、生きているとか死んでいるとか関係ないね~」ということ。


夢の中の自分がそう言っていた。


昨日は、いつもの通り虹ちゃんも一緒に通っていたプロテスタントの教会に行った。
光の反射の加減なんだろうが、礼拝の間中、使っていたOHPの光が壁にあたって
大きな虹がずっと出ていた。そして、とても自己主張していた。

 

「私も参加しているんだよー」って。

 

 

そんなことも誰かに伝えてみたいな~と思いつつ、なんとなく動き出せないでいた。
そして、今日パソコンを開けると、アイアイさんのブログが更新されていたので、
まずそれを見た。

http://osaru-aiai.no-blog.jp/blog/

 


見たら、泣けてしまった。ホロリと。
そうだったよな。そうなんだよな・・・と。

 

 

2月22日は虹ちゃんの生まれた日。
ゆすぞう・かめちゃん・とうがらしくんに見守られながらこの世に生まれてきた日。
生きて周りの人たちにメッセージを発信し続け、亡くなっても尚、
「みんな一緒に」とメッセージを伝え続ける虹ちゃんのことを
ハハゆかぞうとしては、己の枠や概念を超えて書いていかなくてはならないんじゃないかと
アイアイさんのブログを見て、そのメッセージを受け取った気がした。

 

虹ちゃんは言い続けている気がする。
私は、お父さんも、お兄ちゃんも、お姉ちゃんも、おじいちゃんも、おばあちゃんも
アイアイさんやその家族も、その回りにいるすべての人たちも、この人たちが居るところだから
自分は生まれてこようと思ったと・・・。
だから「みんな一緒に」手をとって光に向かって生きて欲しいと・・・。

 

 

 

とうがらしくんが、天国って本当にあるのかと悩んでいた時期に大切な友達が紹介してくれた本。

 

ダギーへの手紙―死と弧独、小児ガンに立ち向かった子どもへ

ダギーへの手紙―死と弧独、小児ガンに立ち向かった子どもへ

 

こちらは、心理学者の河合隼雄さんの紹介を見て読んでいた本。

 

わすれられないおくりもの (児童図書館・絵本の部屋)

わすれられないおくりもの (児童図書館・絵本の部屋)

  • 作者: スーザン・バーレイ
  • 出版社/メーカー: 評論社
  • 発売日: 1986/10
  • メディア: 大型本

どちらの本も手にしたときはピンとこなかった。
でも、今は実感することができる。
その、ことばの意味を。ことばの重みを。

 

「ダギーへの手紙」の冒頭には、こんなことが書かれている。

 

      これは、 いのちについての お話です。

         これは、死についての お話でもあります。

 

そして、最後には

 

 

      この世で やらなければ いけないことを

      ぜんぶ できたら

       私たちは

       からだを ぬぎすてることが ゆるされるのです。

       そのからだは まるで

       さなぎが ちょうちょを とじこめているように

       私たちの たましいを とじこめてるの。

       そして、ちょうどいい時期がくると

        私たちは からだからでて

        自由になれるのです。

         もう 痛いこともなく

         こわがることもなく

         なやむこともない。

 

     まるで、 きれいな ちょうちょのように

     自由に 神さまのお家に かえれるのです。

     そこでは

      ひとりぼっちには ぜったいにならない。

      どんどん 成長して

      歌ったり おどったり

      私たちより先に さなぎをぬいだ

      大好きな人たちと いられるのです。

       そして、いつまでも

       信じられないほどの

       大きな 愛に つつまれるのです。

 

この、ダギーへの手紙は、アメリカの精神科医
エリザベス・キューブラー・ロス博士が、脳腫瘍を患っていた
9歳の少年ダギー君にあてて書いた手紙が本になったものだ。

 

今週は、虹ちゃんのお誕生日もあり、「虹の小屋」の活動も本格的にはじまる。
「虹の小屋」の活動のコンセプトは

ー年齢・性別・活動内容の枠を超えた、時間と空間の癒しーである。

 

そこに集う誰もが、「みんな一緒に」光に向かって生きていけるようにという
虹ちゃんからのメッセージが込められているはず。


これは、ゆかぞうの今年一年の癒しの時間にもなるはずだ。
一年後にどういう展開になるかはわからない。
ただ、今年一年はじっくりと取り組んでいきたい。

 

キューブラー・ロスの描いた世界とつながりつつ、虹ちゃんと「虹の小屋」と
我が家の家族の様子を今後も書き続けていきたい。
虹ちゃんと過ごしたお日様の当たる部屋でそう思った。

昨年の今頃は、早く春にならないかね~と二人で外を眺めていた部屋で。

 

だから、このブログを読んでくれている人たち

「みんな一緒に」いきましょう。きっと楽しいよ。

今日も明日もいい日になるよ。

 

   じゃ、また明日!  明日は「フラワーアレンジメントの会」やるよー。


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虹ちゃんの思い出 その9 [にじちゃん]

これが、虹ちゃんの思い出 その8で書いたように、きれいにした花壇。

ここに、見事なインパチェンスが一面に咲いていたんだ。

でも、なんだかすっきりした感じでしょ。確実に季節は動いているよ。 

今週は、本当に毎日毎日人に会って会話してます。
いや、そんななまやさしいものじゃない。
とにかく、話して、話して、話している。


ちょっと息切れしてきて、なんでこんなに話してるんだと
ぐったり疲れた体で考えてみた。

そうか、季節が動くんだ。
だから、話して、話して、話してまとめたいんだ・・・と。


そして、いつも話題に出てくるのは、虹ちゃんとブログのこと。
虹ちゃんは、その短い生涯の中で本当に多くの人と出会って
かわいがってもらったり、メッセージを伝えたりしてきた。

だから、ゆかぞうの周りの友達も虹ちゃんの人生が一体自分にどのような
メッセージを残してくれたのかと考える時期が来ているのだと思う。

虹ちゃんが天国に行ってしまったことは、淋しさがありつつも
彼女が残してくれたメッセージを考えずにはいられないのは、ゆかぞうだけではないんだな。

ババちゃんは、  「わたしねーこの頃自転車に乗っているとねー自然と虹ちゃんと会話しているのよ」
         「ババは大丈夫だからねーとか虹ちゃんありがとうねーとか色々」
         「それで、私死ぬのが怖くなくなってきたのよ」って言っていた。


うみくん(6歳) 「うみねー虹ちゃんを感じたことあるよ。自転車に乗っていたときにねー」とか
          「ねー千の風ってさ、虹ちゃんの風ってことでしょ」なんて言っている。
         6歳の子どもだから、感じられる風があるんだねきっと。


それから、「毎年、蛍を見るたびにその季節虹ちゃんを思うのだろうなと思っているよ」という言葉も・・・。
虹ちゃんは、蛍が出る季節の終わりに天国に行ったからね。

景色や風や季節とつなぎ合わせて、虹ちゃんのことを思い出してもらえるのは、ハハゆかぞうとしては
とてもうれしいな。
そうやって、廻る季節とともに人は何かを感じ、何かを忘れていけるんだよね。
悲しみを全て覚えていたら、生きていくことがものすごく大変になるから。
そして、何かと結びつけて、また思い出していく・・・。
そんな繰り返しなんじゃないだろうか。


そして、ゆかぞうもしっかりと虹ちゃんからもらった、そしてもらい続けている
メッセージを整理しなくちゃな~と思っているんだ。


それが、また何かに続いていくよね。

しばらくの間、話して、話して、話し続ける予定はまだまだ続く。
でも、そういう時間の中でゆかぞうはきっと癒されているのだと思う。
ありがたい時間だよ。

花壇は、一週間ぐらい土を休ませて、ゆすぞう作の堆肥をたっぷりと入れたら

ビオラを植える予定。

また、素敵な空間が広がっていくことを願って・・・。

今日のあなたにも、明日のあなたにも必要な学びと幸福がありますように。

 

んじゃ、明日もkirakiraプラスでね。

 


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にじちゃんの思い出 その8 [にじちゃん]

 

    

この花は、インパチェンス。
我が家には、道路沿いに花壇があり、夏から秋はインパチェンス
冬から春はビオラが植えられている。

半日陰の場所なので、この二つの花だときれいに咲くからだ。

今年もインパチェンスの時期が終わったので、今日きれいに抜いて土を休ませた。

実は、このインパチェンス、まだ虹ちゃんが肉体を持っていた頃、海の向こうさんも
一緒にみんなで買いにいったもの。
その後すぐに虹ちゃんは天国に行ってしまい、このインパチェンスは花壇に植えられる前に
虹ちゃんのお別れの式のために玄関に飾られることになった。

そして、しばらく玄関にあったものを海の向こうさんが一緒に花壇に植えてくれた。

いつもなら、とっくにインパチェンスは枯れて、ビオラに変わっている時期なのに
今年はいつもより長い時期、しかも見事に咲いていた。

「今年は、きれいだね~」とゆすぞうとしみじみ見たものだ。


虹ちゃんが亡くなった翌日、朝早くに来てくれたゆきんこのハハさんが
我が家の庭にある山椒の木を見て
「この間来た時はまだなっていなかったのに、山椒の実がなっているなと思ったら
 妙に悲しくなったよ。」

「庭にあった四葉のクローバーをあるだけもってきた」

そういって、まだお棺に入っていない虹ちゃんのお布団のまわりに四葉のクローバーを並べてくれた。

私は、ゆきんこのハハさんのこういう大地の感覚が大好きだ。
体全体で生きていて、それが大地とともに動いている。

実家が農業をしているゆきんこのハハさんは、以前こんなことも言っていた。

「どんなに豊かな作物が実っていても、台風がくれば一夜にしてダメになるんだよね
 そうすると、やっぱり人間は自然の一部で、自然には勝てないんだなと思うよ」

そうなんだよね。
人間は、自然とともに生きている。


今日、インパチェンスをきれいに抜きながら、この花を買った時は確かに虹ちゃんはいたんだよな~。
でも、もう天国に行ってしまった。
そして、インパチェンスもその時期を終えたんだな・・・。

こうして、季節はめぐっていくのだな~と

しみじみ思いながら、花壇をきれいにしていくうちに、ゆかぞうの心もコトリと動いたような気がした。

一つ季節が動くのかも知れない。

今は、ゆったりとした日々の動きがありがたい。

いつも、ありがとうみんな!

 

 


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虹ちゃんの思い出 その7 [にじちゃん]

永遠の別れ―悲しみを癒す智恵の書

永遠の別れ―悲しみを癒す智恵の書

 
虹ちゃんシリーズも今回で7回になる。
書き始めると色々な思いも出てきて、いつも泣きながら書くことが常であるが、
それでも書き終えるころには、すっきりとした気持ちになる。
 
心の奥底にある感情を文章として表面に出し、それに自分で分析を加えることによって
浄化されているのだと思う。
 
紹介する本「永遠の別れ」は、虹ちゃんを看取ったあの日、読みかけてすぐ側に置いてあった。
具合の悪い虹ちゃんを今日も一日抱っこしながら本でも読もうと思っていたのだ。
 
これまでも、具合が悪かった時は、ゆり椅子で一日中虹ちゃんを抱っこしながら
本を読んだりしていた。
具合が悪くても抱っこしていると安心するのか、またはエネルギーが充電されるのか
比較的よく眠っていたからだ。
 
この本は、キューブラーロスの最後の本である。
この本を書き上げて、彼女も亡くなった。
 
虹ちゃんが亡くなってしばらくの間、本というものが読めなくなっていた。
きっと集中力がもてなくなっていたのだろう。
眠る集中力さえしばらくなかったのだから・・・。
健康が蝕まれると、眠るということができなくなるのだということがよくわかった。
とにかく眠りが浅い時が続いていたから・・・。

 
さて、本の話に戻るが、今日読んでいた場所にこういうところがあった
 
『ー物語ー
 喪失体験を語ることは、苦痛の緩和に役立つ。繰り返し、細部にいたるまで語ることは、悲嘆を癒す
 プロセスにとってもっとも重要なプロセスである。
 治癒が生じるためには、悩みを打ちあけ、だれかと悲しみを共有する必要がある。
 悲嘆は、うちあけたぶんだけ軽くなる。
 
     -中略ー
 あなたは難問解決のための材料を探す探偵のようなものだ。
 だれかに物語を語りながら、あなたは解けない謎の領域をおおう分厚い霧を払っている。
 それはあなたのこころの内部をおおっている霧であり、声高に語ることで内なる霧を払って、
 秩序を回復することに役立つのだ。
 そのことが動揺する内的世界の構造に、一時的であれ、しっかりとした足場をつくってくれる。
 語ることは、その構造の再構築に役立つのである。』(「永遠の別れ」p,115~116)

まさしく、私が今こうして書いていることは、苦痛を緩和していることなのだということ。
そして、そこに共感してくれる人がたくさんいるということが、本当にありがたいことだと思う。
 
 
 
夕方、スーパーに買い物に行ったら、虹ちゃんより半年ぐらい後に生まれた近所の子を見かけた。
かわいい足取りで、小さな靴をはいて楽しそうに歩いていた。
 
よちよち よちよち。
 
そんな姿がたまらなくかわいかった。
「虹ちゃんもあんなふうに歩いたのかな?」
「いや、歩けなかったかもしれないな・・・。」
そんなふうに思いながら、よちよち・・・を眺めていた。
そのしっかりとした足取りは、生きていくエネルギーをあたり一面に
広げているようだった。

虹ちゃんの体。
写真で見ると、首から下にエネルギーが少ない感じがする。
まだ虹ちゃんが生きている頃は、そいういうことにも十分気がついた上で
エネルギーのあるところだけを見て、心地よく暮らしていた。
 
虹ちゃんのいたずらや、虹ちゃんの動きの一つ一つを
「すごいねー、これもできるようになったねー」
そういって暮らしていた。
 
だから、毎日「すごいねー」の連続だったと思う。
みんなで、そうやって育てていた。
だから幸せだった。
 
そして、今虹ちゃんを思い出しながら、こうやって文章を書いている。
すごいなー書くって”悲嘆を癒すプロセス”なんだって思いながら・・・。
 
虹ちゃんとの経験、今の時間、どちらも大切な私の経験である。
だから、じっくりと書き進めていきたい。
もちろん、kirakiraプラスでね。

     また、明日。 

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虹ちゃんの思い出 その6 [にじちゃん]

いやー、一週間がはじまりましたね。
この週末、結局ブログ更新できませんでした。
失礼しました。
実は、昨夜はパソコン立ち上げて書きかけてみたんだけど、眠くてダウンしてしまったんですね。
土曜日は、パイプオルガンのコンサート(無料&未就学児OK)に行ってきて、
普段大勢の人を見る機会の少ないゆかぞうは、人酔いしてぐったり。
コンサートはすんごくよかったけど・・・。
ホントゆすぞう、毎日電車にのってごくろうさま・・・って思ったよ。
今日紹介するのがこのDVD。
最近の我が家のお気に入りで家族で見入っています。
パイプオルガンが東京カテドラル教会にに出来上がるまでの過程とその500日の
様子が記されている。
その他、パイプオルガンの構造の説明なんかもあってかなり面白い。
うーん、何回見たかな?
 
ST.MARY’S CATHEDRAL パイプオルガン誕生

ST.MARY’S CATHEDRAL パイプオルガン誕生

 
 
職人技やその思いまでもが伝わってくるんだよな。
いやー一度見てくだされ。
 
そしてねー、聞きに行ったパイプオルガンとクラリネットのコンサートよかったよ。
その後、パイプオルガン見学会っていうのがあって、構造を見せてもらったりしたんだけど、
写真がねー、ちゃんととれてないんだよ。
だから、アップできないの、ごめんね。
 
 
話は変わるけど、このごろ「虹ちゃんの思い出」を書くようになってから、色々な感想を
聞かせてもらえるようになったことは、この前も書いたよね。
それでね、今日はその続きなんだけど
 
「ブログに書いてあったけど
 お祈りってさ、自分でも声に出して言うといいんだよね。」って言われた。
あれ?私そんなこと書いていたっけって言ったら、

「うん、かめちゃんがお祈りしてたって・・・」
 
そうだそうだ、そういえば書いていた、結局次の日
「かめねーやっぱり保育園行きたくないのー」といって休んじゃったけど。
それで、とうがらしにはナイショだけど、ババチャンの家に遊びに行っておいしいものを
ごちそうになってたけど・・・。
 
でもいつも、心をこめてお祈りしている。

その後は、
 「あのさーブログ読んでいて思ったんだけど、花さき山の本で劇を子どもと作ってみたいんだよね」と
 保育士さん。
 
 「あの、やさしさっていうのがさ、今のクラスの子どもたちにとってもぴったりくるんじゃないかと・・・。」
なんか、色々思い巡らせていたら昨夜は眠れなくなっちゃったとか。

こんな、感想を聞くと、文章って書いてアップした時点から、私のその時の思いとは違うところも
一人で歩き出すんだな~って思った。
自分で思いを馳せていないところにも、読んでくれる人の気持ちが重なって広がっていくんだなって。
うれしいような、びっくりするような出来事だった。
言葉って「言霊」ともいうもんね。
ますます、ブログを書くときには、読んでくれる人が心地よくなりますようにと思いながら
書いていかねば・・・と思うのでした。
 
 
それから、今日は賛美歌を紹介します。
虹ちゃんの歌と私が思っている歌。

    「ここで礼拝するため」

 1.この世のひかりとなられ、こころの目あけ
   あなたをしたう心と 希望あたえた
   御前にふし 礼拝する あなたこそ わが神
   うるわしい方 とうとき方 すばらしい主イエスよ

 2.いとたかきすべての王 栄光の天から
   へりくだり この世にこられ 愛しめされた
   御前にふし 礼拝する あなたこそ わが神
   うるわしい方 とうとき方 すばらしい主イエスよ

 3.はかり知れぬ その十字架の代価
   私の代わりに その罪背負われた
   御前にふし 礼拝する あなたこそ わが神
   うるわしい方 とうとき方 すばらしい主イエスよ
 
 
この歌は、虹ちゃんがまだ元気だったころ、虹ちゃんのことを思うとこの歌がめぐりますと言って
礼拝会の時に司会の方が歌って下さった歌。
 
それ以来、私は虹ちゃんの歌と勝手に思ってきた。
そして、虹ちゃんが天国に帰った後の前夜式や告別式、それから火葬中も
その前でみなさんに歌ってもらいました。
 
昨日の礼拝会の時にこの歌が久しぶりに歌われたとたん
心の奥底から、つきあげてくるような感情があり、涙がとめどなく流れるというより
感情がとめどなく湧き上がってきた。
 
悲しいとか、淋しいとかそういう言葉では表現できないような感情だった。
何が出てきているのかよくわからない、真っ暗な闇のような黒いものがあがってくる感じがしたの。
それが、一体なんだったのかよくわからないけれど、
曲が終わるころには
「たった1年と少ししか生きていない子に、その子へ直接つながれるような歌があるって
なんて幸せなんだろう」と思ったんだ。
 
今になって思えば、虹ちゃんはわが子でありながら、
私にとってみれば、神様そのものだったのかも知れないな~。
 
 
ただ、残念なことの一つは、このブログもそんな虹ちゃんと家族の様子を
色々あるけど、頑張ってるよーという応援ブログにしたかったのだけれど、
記憶にある虹ちゃんの一つ一つを思い起こしては、
それが自分にとってどんな意味だったのかと考えていく、
そしてそれが今にどうつながっていくのかを記していくというブログになっていくということ。

みんなが食事をするときは、虹ちゃんにも食事を作ってあげている。
お皿は、出産のお祝いにゆきんこのハハさんが作ってくれた。
そして、今でもうどんの時は、麺を小さく切ってあげたくなったり
のどにつかえないようなものを選んだりしているってこと。
 
「なんで、うどん切ってるの?」ってとうがらしが聞くから
「うーん、虹ちゃん食べられるかな?って思ってさ」というと
「もう、大丈夫なんじゃない?」だって。
 
とうがらしには、天国に行った虹ちゃんは、もう大丈夫って思えるんだよね。
ハハもそう思ってるんだけど、これはハハだから仕方のない感情なのかも。
だって、遺体をお棺に寝かせる時も、布団が呼吸を圧迫しないように
いつもと同じかけ方をしたくなったし、
普通お棺の真ん中あたりにお花を置くらしいんだけど、呼吸がくるしくなったらかわいそうな気がして
その場所には、置けなかったんだよね。
それは、いつも私と同じように虹ちゃんの呼吸のことを気遣ってくれていたババちゃんも同じだった。
今は、もう苦しくないのにね。
 
 ここまで、書いてやっと気がついたよ。
虹ちゃんにしていた心使いは、みんなにもあてはまるよね。
かめちゃんには、かめちゃんへの気持ち
とうがらしには、とうがらしへの気持ち
ゆすぞうには、ゆすぞうへの気持ち
そして、もちろんこのブログを読んでくださっているみなさんへの気持ち

相手を思う気持ちを持ち続けることが自分の輝になるのかもしれないね。
みんながそんな気持ちを持ち続けられたら、とても幸せだね。
少し淋しさは感じつつも、虹ちゃんとの思い出が
しっかりと明日の私を作ってくれているのだという思いも確認できた。
今日もがんばるぞーーー。
これから、年末大掃除計画、その1を実行する予定。

  じゃ、また明日ね。

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